本州最北端の人びと

●下北半島唯一のWEBデザイナー

 今回の目的は取材(仕事です)。大間町で町おこしでガンバッている「あおぞらヤッコ」さんに会いにいったのだ。「なまなま大間通信」っていう、めっちゃ面白いサイトを作ってる。
 ヤッコさんは実はリクルート時代の1つ先輩。でも、同じ部署にいたにもかかわらず、たぶん殆ど一言も会話を交わしたことがなかった。それがこんな縁で再会するとは不思議だ。

私の青空・なまなま大間通信
http://www.jomon.ne.jp/~namanama/  


大間の港

 ヤッコさんのことは、今度出版予定の本の中で詳しく紹介するつもりだから置いといて、ここでの登場人物その1はヤッコさんのよき同志にして、シモキタ半島を代表するWEBデザイナーでもある「たらこちゃん」。
 たらこちゃんは大間町の隣、蛇浦というところに住んでいる。取材場所に指定されたのは、そのまた隣の易国間(いこくま)というところにある、村口産業の「わいどの木」というところ。大間から、バスに揺られて30分だ。
 この、村口産業は、青森ヒバを使った椅子やテーブルから子供のおもちゃまで、いろいろな木工品を作っている会社だ。商品はこの近くのお土産物屋から、東京のインテリア関係のショップに至るまで、実は幅広く出荷されている。
 併設されている 「わいどの木」はちょっと洒落た感じの商品の展示・販売スペースで、こういっちゃ何だが、「おお、こんなところにこんな場所が・・」という感覚に囚われる。たぶんマスコミなんかで取り上げられると、東京からの旅人がどっと押しかけそうな、そんな場所だった。ちなみに「わいど」とは、あちらの方言で「私たち」の意味らしい。

手作り木工館「わいどの木」(村口産業のページ)
http://www5.ocn.ne.jp/~ydonoki/

 で、たらこちゃんはこの会社のホームページ作りも担当しているのだ。もともとは東京でWEBデザイナーの仕事をしていた。が、ご存知の通り今や東京じゃ有象無象のWEBデザイナーが溢れ返る状態。少し前なら、ちょこっとhtml書けただけで随分と尊敬されたものなのに・・そんな時代ははるか彼方のものとなってしまいました。
 ある日のこと「このまま行っても私には先がない・・」という限界感に突如として襲われたたらこちゃん。そんなときに届いた一通のメールfrom島康子。 「いっしょに、下北の地域おこしサイトを作ろうよー」 ・・・で、一気に決心が固まり、地元でWEBデザイナーとしてがんばることに決めたそうな。神様ってのは、粋なはからいをしてくださるもんだね。

 とはいっても道は険しかった。「ことインターネットに関して言えば、こっちは東京の3年前の状態」。
 まず通信環境が整わない。今や東京じゃ「やれブロードバンドだケーブルだ」ってのが日常の会話となってきているが、あちらじゃまだまだモデム使ってのダイヤルアップ接続が主流。使ってるパソコンだって何年も前に買ったきりのものだったりする。  「ページが開かない・・壊れちゃったのかな」という相談を受けて見てみると、単に通信速度が遅すぎて全部ページが開いてないだけだったり、メモリ不足で画面が固まってたりするだけのことがよくあるそうな。
 ブロードバンドの流行とともに、巷のWEBサイトのデザインはどんどん凝ったものになりつつあるけど、本当は、この大間の状態は決して特別じゃないってこと、いわゆる大都市以外では、むしろこれがスタンダードなんだってこと、忘れちゃいけないんじゃないかと思う。
 そんな環境もあってか、「田舎じゃデザインってことに付加価値を認めてもらいにくい」とたらこちゃん。「美しくて高い」ものと「美しくないけど安い」ものだと、みんな後者を選んでしまう。だから「WEBデザイナー」として生計を立てていくのはまだまだ難しいけど、でもいつかは・・と思いながらKマートでバイトの日々である。
 でも最近、ぼちぼち地元の会社や旅館といったところから「ホームページ作って」という依頼が舞い込み始めた。全部、口コミネットワーク(そこは田舎のすごいところだ)。たらこちゃん曰く、「どうもここらじゃ自分以外にWEBデザイナーと称する人を見かけない。そのうち下北中のホームページが、たらこ仕様になりそうで怖い・・」。だから彼女が、下北半島唯一のWEBデザイナーである。  東京で燻っている「実は田舎者」の皆さん(私もだ)、思い切ってそういう人生を踏み出してみてはいかがでしょう??

下北半島唯一のwebデザイナーのページ
http://homepage.mac.com/mika_furukawa/


●本州最北端の宿

 今回、宿泊でお世話になったのが「海峡荘」というお宿。ホームページに載っていた魚介類満載の料理の写真に心引かれて予約したのだが、行って見たらそこはマジで「本州最北端の宿」だった・・・だって、宿から歩いて1分のところに、「本州最北端の碑」があるんだもの。部屋には「あわびの間」「まぐろの間」といった名前が付けられていた。私は「うにの間」に泊まっていた。
 このお宿を経営するご夫婦は、シャイなご主人と社交的な奥さんというナイスなカップルだ。豪華な夕食は全てダンナさんの担当。冬場は残念ながらマグロは食べらなかったのだが、それでも生ウニ(イガイガをぱかっと割ったやつ)、ホタテのバター焼き、お刺身、フライと海の幸のオンパレードだった。
 一方、ホームページの方は奥さんの担当だ。何と、宿のお客さんから全部習って作っちゃったらしい。お客さんも使いよう!?

本州最北端の宿「海峡荘」
http://www6.ocn.ne.jp/~oma123/


港に戻ってきたウニ漁の船
 3月2日の朝、ウニ漁から帰ってくる船を見に行きませんか?と誘ってくださった。この日はウニの「かご漁」の解禁の日だとか。それまでは「突きウニ」といって1こ1こモリのようなもので突いて採らなければいけないのが、かご漁解禁となると大量のウニを採ることができるのだ。
 ご主人の小型トラックに乗せてもらって港まで行くと、すでにウニで盛られた大きな籠が10籠くらい並べられていた。こんな大量のウニを見る機会は滅多にないに違いない(写真とっておけばよかった〜!!)。1キロ1500円〜2000円くらいで取引されるらしいから、1日で10万単位の儲けになることもあるとの話。漁業のバクチ打ち的な世界を覗いてしまったという気がした。やっぱりこれって「男の世界」だよなー。

 東京へ帰る日の朝、私は7時のバス(!)に乗らなければいけなかった。そのためにわざわざ早めの朝食の支度をして下さり、「今日は雛祭りですから」といって、桜餅とうぐいす餅を持たせてくれた。
「ウチは長逗留の人も多いですからね。そういう人に季節感を感じてもらうために、こういうことしてるんですよ」
と、おっしゃる。原発関連の仕事で長期滞在するお客さんも多いのだ。

 その朝は雪の翌日で、ひときわ海風がキツかった。
「私がバスを止めてあげますから、中で待っていてください」
と言って、奥さんが外に出て道端でバスを待ってくれた。このあたりのバスは別にバス停じゃなくっても、手を上げたら止まってくれるのである。
  バスの乗客は案の定私1人だった・・・。埃にまみれたバスの窓から手を振ってサヨナラした。うーん、ドラマな1シーン。

 大間を訪ねることがあったら是非、「海峡荘」に泊まってみてください。

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