●私、高校生ぐらいから自己流でウールの着物なんかを自分で着ていたんです。今思い出すとへんてこりんな着方だったんですが、着物を着るといつものおてんばな自分じゃなくなるみたいで気持ちが落ち着いたんです。
仕事をするようになってから、「きれいに着物が着たい」と思い半年ぐらい気付けを習いました。きちんと習ったんですが、何年も経つと忘れてしまうことも多く、今ではすっかり自己流の気付けになってしまいました。着ていて自分が楽だったらいいじゃないかをモットーにしています。高校からかれこれ20年お茶(茶道)を習っている関係で時々は着物を着る機会があるんですが、「着物で観劇」なんて夢ですね。
着物好きな実家の母が(着物好きなのに気付けはできない人なんです)お嫁入りに持たせてくれた大島紬なんて白いのも、黒いのもしつけがついたまま・・・。大島紬って遊び着なもんでお茶会には着られないんですよね。大島を粋に着こなしてお芝居を観るなんて最高ですね。
何年か先の夢としてあたためておきます。
今小4の娘が、振り袖を着るようになったらいろいろな帯結びをしてあげたいなと楽しみにしています。でも、自分がそろえてもらっただけ、娘に着物をそろえられるか心配です。今頃のなって、親の有り難みを感じます。(あずきちさん)
●着物好きの母が、いろいろ揃えてくれたにもかかわらず、すっかり箪笥のこやしとなってしまった着物達・・・。日の目を見せてやりたいです。(猫娘さん)
●私は京都の御所と二条城の間あたりに住んでいます。我が家は代々会社員ですが、近所は呉服のお仕事の方がいっぱいです。
たくさんの呉服関連のお店が倒産されて次々マンションに変わって いきます。私自身 着物も持ち、じぶんで自由に着る事が出来るのに、長い間着物離れをしておりました。美しい日本の着物を再び着ようと思いました。
着物は贅沢ではありますが、まさしく日本の文化ですもの。(みやびさん)
●実は私の両親は京都西陣で織物業をしています。昨今の和装業界はもう暗い話ばかりです。こうしてまだまだ着物を愛して下さる方が居られると言う事は、嬉しいことです。西陣の機音を聞いて育ちましたので、着物フリークの方が一人・二人と少しでも増えてくださることを願っております。(すずさん)
●もう5、6年前になりますか。 まさかNIFTYオペラ部屋の翠真様が轟ファンの集まりに書き込むとは思いもしなかったので、本当に驚きました。
お会いしてみれば日本人形みたいで優雅なお着物姿。しか〜し、人の顔を見れば「着物で観劇しましょうよ」とお誘いになる(^^;。
若い時から着物は嫌いじゃなかったものの、いざその気になってタンスをひっくり返してみれば、?十年前の派手な訪問着や小紋。どうするん、こんなの今じゃ着られない(;_;)と嘆くことしきり。ただ1枚着られそうな大島紬をみつけ、実家の母に紬の帯を借り、翠真様の特別着付け教室へ。
確かその時生徒は3、4人。翠真先生に簡単な着方?を伝授され皆、ちゃんと着れるようになって帰りましたっけ。
次は「春櫻賦」を着物で観劇しようと企画して、帝劇へ着物デビューでした。私は着物がなくて、叔母からもらったという小紋を母から借りて着ました。(今も私のタンスの中にある)
2階最前列へずらっと並んだ着物姿を 専科のお姉さま方はニコニコと見上げてくださいました。すご〜く感激! 帰りは桜に誘われてゾロゾロと日比谷公園へ。
そして私は轟さんのお茶会へもその着物で行きました。抽選でお花を手渡しできる役が当ってドキドキしながら轟さんに渡したのを覚えています。小さい声で「がんばってください」しか言えなかった私ですが(*--*)
(ゆきのるるさん)
●着物というと、母の思い出・・・です。 (あっ!!! 母はまだ元気で、ラヴックに夢中ですが。)
小さい頃、うちに帰ると着物姿の母がいたり、父母会に 着物で来てくれたり、それにあの匂いが好きでした。 匂い袋の匂いです。 私の眠っている着物たちも、母が選んでくれた品。
母の思いがこもっている気がします。 その母も、祖母からもらった着物を大事にしていて、 こうやって、私の娘まで、何代もの女の心が着物に
込められて、伝わっていくのだと思います。 着物って、そんな思いもありますよね。(空香さん)